先日、北村監督とメシを食った。
アメリカで活動/活躍している数少ない(5人いないのでは?)日本人監督の一人だ。業界では大分有名な監督だが、念のため過去にはこんな作品を撮っている。
- ヒート・アフター・ダーク(1999年)
- VERSUS -ヴァーサス-(2001年)
- Jam Films 「the messenger -弔いは夜の果てで-」(2002年)
- ALIVE -アライブ-(2003年)
- あずみ(2003年)
- 荒神(2003年)
- スカイハイ 劇場版(2003年)
- LONGINUS(2004年) – DVD作品
- ゴジラ FINAL WARS(2004年、東宝)
- LOVE DEATH(2006年)
- ミッドナイト・ミートトレイン(2008年)
- BATON (2009年) – CGアニメ作品
僕より一回り上で誕生日が一日違い。若い頃オーストラリアに留学し、日本で映画を撮り始め、2006年からロスで活動している。諸々の事情で、ハリウッドデビュー作のミッドナイトミートトレインはヒットこそしなかったが、彼の評価はハリウッドで非常に高く、ある批評家はimdbという映画のデータベースで「最も偉大な監督50人」の中で27番に入っている。(1位はデビッドフィンチャー。黒澤明は19番目)
ちょうど一昨年、北村監督が岩井俊二監督、青山真治監督と三人でUSCで日本の映画について講義をした時に知り合い、ビバリーヒルズの自宅で夕飯を御馳走になった。色々とアドバイスを貰っただけでなく、話し方が非常に上手く、しかも非日常的な経験が豊富なため、時間があっという間に過ぎてしまう。その時の会話の中で、僕が長編を撮影したらもう一度ご飯を食べるという約束をした。北村監督は、そういう事を俺に言ったヤツはたくさんいたけど、今まで本当に実現させたのは過去一人しかいなかったな、言った。(ちなみにその一人は山口雄大監督)
その約束から約一年半かかったが、昨年の12月に幸運にも長編を撮影するチャンスを頂き、今回ロスに戻って来たときに報告がてら、メシをご一緒させて頂いた。
2011年は僕にとってチャンスの年でこそあったが、肉体的にも精神的にも苦労が耐えなく、今までで一番辛い年でもあったかもしれない。しかし、北村監督のデビュー作の苦労話を聞いたら、自分がどれだけ恵まれた状況でデビュー作を監督出来たか改めて気付かされた。助監督で参加して、初日の3時間で殴り合いの喧嘩になったことや、その後自分でかき集めたお金でデビュー作を作るまでに至る血の滲むような苦労と友情の話。必死で口説き倒し出演してもらった俳優、聞いてるだけで切なくなる撮影秘話、撮影終了後2年かけて配給までこぎつけた単館レイトショーなどなど。それでも終わらせて上映し、次に進む事に意義があると言っていた。色々な山や谷を越えて来ただけに、一つ一つの言葉が非常に力強かったし、心に響いた。
北村監督は今ハリウッドで第二作を終わらし、今年は後二本控えているので、忙しくなりそうだと言っていた。公開が非常に楽しみだ。
そして昨日大学院の同期の監督と会って、ホットドッグを食べ、ビールを飲みながら去年の事について話した。彼は、去年三本長編の話があったが、二つは流れ、一つは17日間の撮影が終わり、編集が終わった所で理不尽な理由によりその作品は永久にお蔵入りになってしまうと言っていた。
当たり前の話だが、皆、表向きに成功しているように見えていても陰ではものすごく苦労している。そして何よりそれを乗り越える努力をしている。漫画の「はじめの一歩」の受け売りだが、「努力しても成功するとは限らない。しかし、成功している人は皆努力している」
僕も更なる精進を重ねなければいけない。
January 13th, 2012 → 8:02 am @ admin
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