8月から韓国、カナダ、アメリカの映画祭で次々とプレミア試写を行っていたついに日本に上陸。 後楽園ホールでジャパンプレミアを行いました。700人以上を集客出来るホールが満員で、 こんなにたくさんの方々に僕らの映画を見てもらえて本当に感無量です。 長年、映画監督になるという夢を見続けてきて、やっとスタートラインに立たせてもらう事が出来ました。 ここまでこれたのも、応援して頂いた皆様のお陰です。本当にありがとうございました。 テレビでも昨夜の様子が流れたようですが、下記、ウェブでの速報ですので、ぜひご覧下さい。 朝日新聞 http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/NIK201310080197.html 映画.com http://eiga.com/news/20131008/17/ シネマトゥデイ http://www.cinematoday.jp/page/N0057064 クランクイン http://www.crank-in.net/movie/news/27198 スポーツ報知 http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20131008-OHT1T00150.htm アメーバニュース http://news.ameba.jp/20131008-531 マイナビニュース http://news.mynavi.jp/news/2013/10/08/358/ 10月25日には台湾の高雄映画祭にてプレミア上映になります。 http://www.kff.tw/ehome02.aspx?ID=$32ED&IDK=2&EXEC=D&DATA=1412&AP=$32ED_HISTORY-0^$32ED_SK-92 日本では、11/9日の舞台挨拶の際に、ぜひまたお会いしましょう。 興奮冷めやらぬ最高の夜でしたが、 今日は、気持ちを切り替えて、監督最新作「太秦ライムライト」の編集室に行ってきます!
シガーロスというアイスランドのバンドをご存知だろうか?僕のシガーロス初体験は大学3年生の時だった。そしてぶっとんだ!脳みその中で、10号玉の花火が次々に炸裂していくようなホドバシル衝撃を今でも鮮烈に覚えている。 彼らの音楽は「知る」ではなく「体験」という言葉が相応しい。もしかしたらそれまでポップな音楽ばかり聞いていたので、「こんな音楽もあるんだ」という未知ゆえの感動というのはあるかもしれない。ただ、それを抜きにしても彼らの音楽は素晴らしい。 幻想的な始まり、ベースが奏でる力強いメッセージ、ドラムが徐々に期待と興奮を増大させ、言葉の壁を越えた歌声が全身の細胞と共鳴し始めた時に、避ける事の出来ない隕石のようなクライマックスが脳天に炸裂する。 過去に、何度彼らの音楽を聞きながら、 映画の脚本のクライマックスを書いて涙を流してたか分からない。日常的に聞くのはどうかと思いますが、たまにとてつもなく聞きたくなる。 そのシガーロスが武道館にやって来たので、昨夜行ってきました!しかもど真ん中の最前列で、これ以上ないくらい近かった。おそらく一生で一番彼らと距離が近かった日として忘れる事はないだろう。 ただ、昨夜の演奏は筆舌に尽くしがたい。どう書いてもあの経験は言葉に出来ないので、ここでは割愛してしまう。強いていうなら、没頭し過ぎて気づいた時には終わってた、という感覚だ。 ギターを歯で弾くのは見た事あるけど、ギターの穴に向かって歌い、 声を木霊させるのは初めて見た。 一万人の観客が感動の拍手で包み込む中、最後の挨拶。後ろで手が組まれてるのがいい。これは一生で一度でいいからやってみたい。ので、終わった後に仲間と手をつなぎ、観客と喜びを共感出来ることをしていきたいと改めて思った貴重な時間でした。
新年が明けて一ヶ月が過ぎた。つまり僕がパレオダイエットなるものを初めて一ヶ月になるということだ。パレオダイエットとは、簡潔にいうと炭水化物、穀物、加工食品、乳製品などを食べないダイエットだ。肉と野菜のほとんどはいくらでも食べてよい。結構、体重が劇的に変わるということで、僕は凄く期待していた。 要するに、狩猟民族みたいな生活を知ろということだ。 血液型ダイエット(僕はオー型)にちょっと似てるけど、O型はもともと狩猟民族だから、それに近い食生活を知ろということだ。元旦時点で82キロだった僕は別に体重が減らしたいから、やり始めたわけではない。僕はSの性格からか(人にやられるのはやだけど、他人や自分にやるのは好き)こういう突拍子のないことを期間を決めてやるのが好きだ。絶食してみたり、一ヶ月環境のためにベジタリアンになったりなど。 基本、この一ヶ月、執筆、編集、勉強、そしてジムでトレーニングという生活をしていた。ジムとミーティングと映画館以外はほとんど引きこもり状態の巌窟王的な生活。そして、今日、一ヶ月のダイエットを終えた僕は体重計におそるおそる飛び乗ると、なんと84キロ!増えてる! これには様々な可能性が考えられる: 1、ロスの重力が一時的に変化した。 2、脂肪が鬱病にかかり燃えるのをこばんだ。 3、体重計の中にいる小人達がそろばんを弾き間違えた。 4、宿便が地縛霊と化して腸を呪っている。 5、骨が原始人なみに勇ましく太くなった。 普通に考えれば5だろう。こんな辛い想いをしたのに、カルボーン!と叫びたいところが、ふと気づいた。このダイエットで全く辛い想いをしていない。なるほど、辛い想いをしていないからか? 否、辛い想いをすれば、結果が出るなんて大間違い。世の中そんなにうまくは出来ていない。しかし出来事が起こるには必ず理由がある。太ったのには理由がある。なぜか? 日本は世界で唯一、おデブさんがチャーミングとされている国である。貴乃花が宮沢りえと結婚するくらいだ。上の写真だって脂肪があればなら死なずに済む。日本では、ぽっちゃりの方が勝ち組だ。つまり僕は日本に帰るために必然と太ったのである。バレンタインも近いし、なるほど、納得。 というわけで、すっかり準備を整えて、2月は少しだけ日本に帰るので、宜しくお願いします。
ここ一ヶ月、仕事もしてるが勉強をしている時間の方が多いかもしれない。映画を含むたくさんの新しい映像を見て、昔からある名作を見直し、大学院や大学のクラスに忍び込んで映像論を学び、新しい技術が映像にもたらす可能性を模索している。 その中でも特に関心を持ったのは、フィルムとデジタル媒体の将来についてだ。業界のトップの人達は、それぞれ違う意見を持っているようだが、フィルムは衰退の道を歩む一方なのは全員一致のようだ。それを証拠にコダックやフジフィルムがフィルムの生産を停止してしまった。 そもそも人類は常に技術革新の狭間に立っていると言っていい。映像業界で言えば、写真を連ねて映像が出来ることが発見されてから、大きなもので言えば、サイレント映画→トーキー映画、白黒→カラー、SFX→VFX、そしてフィルムからデジタルへの移行だろう。あえて3Dを入れなかったのは、3D映画が過半数を占めるのは現状まだ起こりえない事だからだ。 ここでいうフィルム→デジタルというのは、撮影をする時にフィルムで撮るか、デジタルで撮るかという事だ。すでにサウンドは、テープをやめていち早くデジタルになってしまったし、編集方法も上映方法も今ではデジタルに移行しているので、まだ根強く頑張っているのは撮影時の方法と保存方法だ。スピルバーグやノーランがいくらフィルムで撮り続けると言い張ったところで、僕ら若い世代がキャノンの5DやiPhoneで撮影を毎日しているのだから、もう撮影時のフィルムの使用からデジタルの移行は避けられないだろう。そしてそれが及ぼすアートへの影響も映像作家として今後撮影をする上で考慮しなければいけない。 僕の作品で言えば、今のところ「美雪の風鈴」が最後のフィルム作品となり、新作の「タイガーマスク」はデジタルで撮った。もちろん機会があればまたフィルムで撮るのも考慮するべきだと思う。 すると残されたフィルムの用途は保存方法だけとなる。デジタルで今保存している方法は30年後同じ方法で見れるとは限らないからだ。事実VHSなどのテープなど再生機器はすでになくなっているし、ハードドライブも老朽化してデータが読み取れなくなる危険性がある。しかし、フィルムは100年前撮った映像を今でも光を通せば映像を見る事が出来る。つまり今日撮った映像を100年後見れる方法が保証されているのはフィルムだけだと言う。 しかし本当にそうだろうか?僕は人類の進歩に多大な信頼をおいている。17世紀後半のニューヨークで知識人の会議が行われたときにこの都市は後100年続かないだろうと言われた。過剰な人口増加を支える食料等の運搬に必要な馬が足りなくなるという理由だ。今考えれば馬鹿げた理由だが当時の人達にしてみれば深刻な話だ。しかし人類は産業革命により、汽車を発明し、車を発明し、都市は発展し続けた。 人類は誕生より空を飛ぶのを夢見ていた。そしてついにライト兄弟が1903年に有人飛行を12秒間、成功させた。さらにその約60年後にロケットを発明し月まで飛んでった。技術の躍進は加速度を増すばかりだ。 例え50年後だろうが100年後だろうが、人類はフィルム以外に今日デジタルで撮影した映像を見る方法を見つけ出すだろう。人類にとって本当に必要なものを残す手段を発見しなかったことはなかったからだ。そしてその過程で失われる映像もたくさんある。しかし失う事も人生の必然だ。 芸術と技術は切っても切り離せない。どんな芸術であれ、前人未到の偉業を達成するために新しい技術が問われるからである。新しい技術を追求するか、それを拒み現状で満足するのか。僕は常に前者でいたいと思う。芸術も技術も学ぶ事がありすぎる。だから毎日が楽しい。
と、いうのは結構たくさんあるけど、今日は特にそう感じた。 母校の大学院で、ヴィジュアルセオリーのクラスに潜入してちょっと次の長編映画用に教授に色々質問して来た。 その帰り道パトカーが高速道路を封鎖し始め、なんだなんだと先を見ると、前方の橋には男が今にも飛び降りそうな感じになっている。前に五台くらいしかいなかったから1分早かったら出くわさなかった光景だろう。後ろはすぐに5キロくらいの渋滞。 ここまでなら別にやっぱロスにいるなとは思わない。「自殺をしてやる!」みたいな感じで、世間を騒がすのは世界共通。高速道路がめっちゃ広いということを覗いては。むしろマイケルジャクソンが赤ん坊を窓から出すくらいしないと世界的になニュースにはならない。何が彼をそうさせたのは皆目見当もつかないが、『どんな理由であれ考え直して欲しいな、でも反対車線も車止めだしたし、消防車とか来たし、もう今更引っ込みにくいのかもしれないな。確実に逮捕だろうから、投獄されたら可哀想だな、でも死ぬよりはマシだからやはり考え直すべきでは?』と一分くらい傍観しながら考えていた。 すると隣りの車の運転手が助手席の人とスイッチしたと思ったらおもむろにトランクに行き、取り出したのは勿論、プロ用のビデオカメラ。肩によいしょっとのっけてここぞとばかりに撮影を始める。すると、後ろから人達もビデオカメラやら一眼レフやらを取り出して撮影するために、車を捨てて、前に行っちゃった。 これこそ、ロスに戻って来たなと思う瞬間だろう。映像関係者の比率が半端ない。カフェで隣りに座っている人の話が聞こえてくると、次のテレビドラマ企画の話、お皿を運ぶウェイトレスは勿論女優志望(ロスにいるウェイター/ウェイトレスの90%は俳優志望というのが都市伝説)、戻ってきてからこの三週間くらいで会う人会う人、彼氏が監督やら、おじいちゃんが有名プロデューサーやら、孫娘が映画学校に行ってるなど、上げだしたらきりがない。類は友を呼ぶという法則を考慮したとしても多すぎる気がする。 結局何が言いたいかと言うと、自分がiPhoneだったのが恥ずかしかった。別にこの事件を撮影したかったわけではない。隣りの人のカメラがでかくて羨ましいわけでもない。ここで間違っちゃいけないのは、今日の高速道路で撮影を始めたほとんどの人たちがプロ使用の機材をたまたま持ち合わせていたのではない。何かが起こったのを知って近くからカメラを持って駆けつけたわけでもない。彼らは常に撮影機材を持ち歩いているわけだ。 ロスの映像関係者のプロ根性、層の厚さ、そして競争率を改めて認識し、反省した一日でした。チャンスの神様は準備が出来てる人にしか興味がない、というのは有名な噂。
僕にとっても初の3D監督作品となります「消しゴム屋3D」が もうすぐオンエアーされます。 主演は日本の映画界が誇る至宝、でんでんさんと 確かな演技力と甘いマスクを兼ね備える実力派若手俳優、大東 駿介くん。 この二人とお仕事が出来て本当によかったです。 そして共演は、 迫力満点の演技を披露して下さった香純恭さん、 業界大注目中の新星、瀧内公美さん、 そしてベテラン亀石 征一郎さんの重厚な熱演。 どうぞお見逃し無く! 撮影秘話などについては、 29日以降に書かせて頂きたいと思っておりますので、まずはご覧下さい! 下記、上映日時です! (なんとこんなにたくさん上映されます。 二度、三度ご覧になって楽しめる作品ですのでぜひ) 12月29日(土) スカチャン3D(ch.596) 後3:00 12月30日(日) スカチャン3D(ch.596) 後4:40 12月31日(月) スカチャン3D(ch.596) 後8:40 1月2日(水) スカチャン3D(ch.596) 後4:00 1月5日(土) スカチャン3D(ch.596) 後8:40 1月7日(月) スカチャン3D(ch.596) 後9:20 1月9日(水) スカチャン3D(ch.596) 後3:00 1月12日(土) スカチャン3D(ch.596) 後3:20 1月15日(火) スカチャン3D(ch.596) 後2:00 1月18日(金) スカチャン3D(ch.596) 後1:00 1月19日(土) スカチャン3D(ch.596) 後9:40 1月20日(日) スカチャン3D(ch.596) 後8:00 1月22日(火) スカチャン3D(ch.596) […]
ロスに戻って来てから一週間になる。相変わらず時差ぼけが抜けないまま、クリスマスイブになってしまった。良くも悪くもこの業界の人達は休日も何もないので、 人が休んでる時にも働けるし、それこそ休もうと思えば人が働いてる時に休める。 ただ正直、高校を卒業してから、焦燥感が抜けたことは一度もなく、何も考えずにボーっと休めたのは、受験の結果を待っていた高校三年の冬休みくらいかもしれない。以降、大学に入れるのか、入れたら卒業出来るのか、卒業したらアメリカに残れるのか、社会人になったら長編はいつ撮れるのか、長編を撮ったら次の仕事はいつ来るのか、とこの気持ちはきっと一生続くのだろう。 ちょっと早めになるが、今年をふと振り返ってみると多くの新しい事に挑戦出来た年になった。 初長編を完成させた! 初の3D映画を監督した! 初モンゴルでの撮影をした! 初断食をした! 初、京都太秦で撮影をした。 初のお国の仕事を受けた! 初トーク番組、テレビやケーブルに出させて頂いた。 初出演という形で尊敬する監督の映画に参加した。 初草野球で奮闘した。 と、まあ上げていくときりがないけど、小さいのも含め色々な「初」を思い出すだけでも非常に嬉しい。ただ、勿論良い事ばかりではなく、たくさんの間違いを犯した年でもある。取り返しのつかないミスを3つし、様々な人にご迷惑をおかけした。同じ事をしても良い結果を得られるとは限らないが、同じ事をすれば必ず悪い結果を招く。 良い事よりも悪いことを教訓として来年の教訓に活かしたい。 とにもかくにも、御陰さまで日本でのお仕事が多くなり、日本にいれる時間が多くなるのは嬉しい限りだ。来年も二本、長編を日本で撮影予定なので、日本にいれる期間は長くなりそうだ。 仕事が来年末まである程度、入っているのも初、というか奇跡だ。正直、これほど嬉しいことはない。 挑戦したい事は山ほどあるのに時間は限られている。20代も最後の年だ。焦る必要はない、とよく言われるが、周りにいる同年代の活躍を見ていると、のんびりはしてられない。 それでも今年撮った写真を振り返ると、例年より家族や友人との時間を出来るだけ大切に出来た年にもなった気がする。これからもそれだけは心がけなければいけない。 監督として、人間としてまだまだ未熟もいいところですが、来年もどうぞ宜しくお願いします。
「踊る大捜査線 FINAL」を観て来た。感想は?と聞かれたら、郷愁という言葉、一言に尽きるかもしれない。僕はあまり日本のドラマを観ないのだが、「踊る大捜査線」は最初から最後まで観た、しかも興奮しながら観た二つのドラマのうちの一つだろう。(もう一つはロンバケです。) 映画の冒頭で流れるオープニングタイトルクレジット(人の名前が出て来るヤツね)で、過去の踊るシリーズの映像を再編集して格好良くまとめた映像が流れるのだが、もうその時から僕は懐かし過ぎて映画どころではなかった。正直、今回のストーリーは無茶がありすぎて、なんだか納得いかない部分が多かったが、そんなのは通り越して僕は別の次元で 楽しんでいた。ドラマを興奮して観てた中学時代にタイムスリップしてた。 まずなんといっても松本晃彦さんの印象的なテーマソング。琴をデジタル音にしたようなイントロから、じゃんじゃんじゃんじゃん、流れて来るオーケストラのカッコ良さと言った筆舌に尽くしがたい。いい映画とはいいテーマソングがあって初めて成り立つというくらい、映画にはテーマソングが重要だ。007も、スタンドバイミーも、ジョーズも、スターウォーズも、インディアナジョーンズも、みんな題名聞くだけで、テーマソングが流れてくる。オープニングの部分は結婚式の映像で相当使われてるのも納得。 そして勿論、織田裕二。彼の不器用な姿とか、困った時に口をぱくぱくさせる姿とか、哀愁漂う背中とか、織田裕二は日本にいる数少ない映画スターだなあと改めて確信させる。それと深津絵里と柳葉敏郎。深津絵里のツンデレな感じとかに10代の頃は憧れてた。柳葉さんを観ながら、自分はどちらかというと青島より室井だろうなと思いながら共感してみたり。 僕なんかがこんな事言うのはおこがましいが、ストーリー以外で残念なところを上げるとすれば、空撮の画質があまり良くなかったことと、ところどころのCG(トラックやヘリコプターなど)がラフ過ぎたのが目立ったことかな。 エンドロールに流れるLove Somebodyは何度カラオケで歌って、音痴と言われたか分からない。すごい好きだったなあ。あんましCDを買わない僕が思わず買ってしまった。この曲ばっかり聞いてたら、「うぜえ」と、空手部に入ったばっかの兄貴に突然後ろからローキックをかまされ、泣いたのも覚えてる。(当時はよく兄貴に泣かされてた) そんな思い出いっぱいのエンディングテーマと共に、いかりや長介さんの昔の写真を観たときは、もう目頭熱くなって、なんか中学時代とか色々と懐かしくなってなんかよく分からない涙が出た。 映画の楽しみ方はたくさんある。映画という魔法の乗り物のお陰で時間が遡ったかのような錯覚に落ち入る事ができた。こんな風に懐かしい思い出一杯にさせてくる作品とは中々出会えない。踊るの映画を4まで作った事に対する賛否両論はあるが、僕は感謝してる。 そして兄貴にあの時喰らった理不尽なローキックのお詫びとしてラーメンをおごってもらおう。 時に映画は思いがけない贈り物をしてくれる。
コンゴから無事生還した。さすがに18日間、音信不通にしていると仕事も溜まるし、私生活の面でもやらなきゃいけない事が溜まる。帰国から一週間経ってやっと落ち着いて来た。 先日、「もっとブログを書いて下さい。最低でも一人は楽しみに待っている人がいるんですから」なんて嬉しい事を言ってくれる奇特な人がいたので、今日はその人のために書こうと思う。内容はあえて全くその人関係ない事にする。 僕はあまり年の事を気にしない方だと思う。たまに年を聞かれて「今年で20歳になるのも10回目です」なんてつまらない冗談を言って、場が冷え冷えする事があるけど。 そもそも20歳を過ぎると、年なんてものはあんまし関係なくなるし、第一、非常に主観的なものとなる。うちの祖父は今年で97歳になっても自分で身の回りの事をやっていて、若いですね、とよく言われるし、小学生の子役の子に「監督、今日は暑いからマイていきましょうね」なんて言われると、こいつ小学生の皮を被ったおっさんだなと思う。 今までずっと年上の人達にがむしゃらにくっついてきたので、いつも年下な気持ちでいたが、そんな僕も最近になって後輩やら生徒やらが出来てきて、年上を感じざる得ない事が多くなって来た。 ただ監督として自己紹介すると、ほぼ必ず「若い」と言われる。映画監督にとって若いという事は全く良い事ではないので、別に褒め言葉ではないし、日本の場合、やりにくい事が多い。だから早く年をとりたいなと普段は思っている。 コンゴのプロジェクトでは、慶應の大学生30名くらいに囲まれて、2週間くらい共同生活をしたのだが、久しぶりに「おっさん」呼ばわりされたのがなんか妙に新鮮だった。確かに初めてアフリカに渡航する人もいる20歳の子から見れば、今年で3回目の渡航になる29歳は、間違いなくおっさんに見える。 でも面白かったのは、滞在して1週間くらいして皆と打ち解けると必ず言われるのが、「賢さんって、子供ですよね」というセリフだ。仕事としてではなく、プライベートも含めた共同生活をすると、いつもバレてしまう僕の精神年齢。多分映画を作り始めた12歳の頃から急激に精神年齢の老化が遅くなり、今やっと16歳くらいになった実感がある。 僕にとって自分の年を一番よく感じる事が出来るのは自分の作品だ。それは小さい頃に柱につけた印のように、その作品を作った自分の等身大が現れていると思う。あの時はこうだったな、と思い出し、今の自分ならこう出来るだろうなと想像する。 ただ、これを書いて気づいたのは、気にしないといいつつ、実は年に事について気にしているということだ。背伸びする事もなく、若く見られることもなく、年相応に見られるように早くなりたいからだろう。
昨夜もらった本、村上春樹さんのエッセイ「村上ラヂオ3」をトイレの中で読んでいたら、(村上さん、すみません)思い立った様にブログを書く事にした。 なんか面白いアイディアが浮かんだ時に、僕はパソコンにメモを書いている。いつかブログに書こうと思って。でも結局、面白いと思ったのはその瞬間で、後で書こうとはなかなか思えない。去年、一週間に一回ブログを更新すると言って、結局更新せず、約束通り鼻からスパゲッティーをご馳走になった。ペペロンチーノだったので、唐辛子が聞いており、二本半で断念。 最近、幸運にも色んなお仕事をさせて頂けるようになった。CMを撮ったり、ドキュメンタリーを撮ったり、3Dを撮ったり、映画の脚本を書いたり、ワークショップをしたり、講師をしたり、トーク番組に出させてもらったり、尊敬する監督の作品にちょい役で出たり、と国内外で幸いにも枚挙に暇がない。小学校からの親友の結婚式のビデオを作ったがあれはもう二度とやらないと決めた。しかし、どれも新しい事ばかりで毎日が楽しい。ただ、本業の長編映画監督となると、お話があっても中々前に進まなかったりする。企画が大きければ大きい、期待度は大きくなる反面、成立する確立は反比例する。実際、映画監督で毎年何本も映画を撮れてる人は、三池さんか、堤さんくらいなもんだろう。 社会人になって暫くした時、貯金が多少出来たので、資産運用するため(といっても雀の涙ほどだが)色んな本を買いあさり、投資の勉強をしたことがある。そしたら、親父に、「副業が本業より収入が多かったり、割く時間が多いのは、本業の才能が無い証拠だ」と言われた事がある。確かに株やら投資信託やらに中途半端に手を出して、その時間を割かれるくらいなら、映画の一本でも見て勉強した方が、よっぽど本業に役立つ。アメリカの役者や監督も本業である映画作り以外はほとんどしないようにしているらしい。バットマンのクリスノーラン監督がミュージックビデオやらコマーシャルを監督するなど聞いたことないし、本業で手一杯なくらい忙しいからだろう。 小さい頃、僕の夢は映画監督だったが、大学に入ってそれが変わった。映画という媒体に固執するのではなく、映像作家として、映像を通し物語/メッセージを具現化していきたいと思う様になった。時代は変わる。僕が生きている間に、映画という媒体も大きな変化を遂げるだろう。ゲームは数年前より映画業界以上の業績をすでに上げている。映画を監督するというは一番楽しい事に変わりはないが、映画にこだわらず、映像を使った舞台演出とか、それこそゲームだろうが、パチンコの映像だろうが、色んな事に挑戦していきたいと思う。 なんだか最初に書こうと思ってた笑い話からそれて、有言実行、声明文になってしまったが、今年もたくさん色んな映像を生産していくので、ご期待あれ。ちなみに21日からコンゴ民主共和国にドキュメンタリーの撮影で二週間ほど完全に音信不通になるので、御了承ください。
October 9, 2013