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柱の傷

コンゴから無事生還した。さすがに18日間、音信不通にしていると仕事も溜まるし、私生活の面でもやらなきゃいけない事が溜まる。帰国から一週間経ってやっと落ち着いて来た。

先日、「もっとブログを書いて下さい。最低でも一人は楽しみに待っている人がいるんですから」なんて嬉しい事を言ってくれる奇特な人がいたので、今日はその人のために書こうと思う。内容はあえて全くその人関係ない事にする。

僕はあまり年の事を気にしない方だと思う。たまに年を聞かれて「今年で20歳になるのも10回目です」なんてつまらない冗談を言って、場が冷え冷えする事があるけど。

そもそも20歳を過ぎると、年なんてものはあんまし関係なくなるし、第一、非常に主観的なものとなる。うちの祖父は今年で97歳になっても自分で身の回りの事をやっていて、若いですね、とよく言われるし、小学生の子役の子に「監督、今日は暑いからマイていきましょうね」なんて言われると、こいつ小学生の皮を被ったおっさんだなと思う。

今までずっと年上の人達にがむしゃらにくっついてきたので、いつも年下な気持ちでいたが、そんな僕も最近になって後輩やら生徒やらが出来てきて、年上を感じざる得ない事が多くなって来た。

ただ監督として自己紹介すると、ほぼ必ず「若い」と言われる。映画監督にとって若いという事は全く良い事ではないので、別に褒め言葉ではないし、日本の場合、やりにくい事が多い。だから早く年をとりたいなと普段は思っている。

コンゴのプロジェクトでは、慶應の大学生30名くらいに囲まれて、2週間くらい共同生活をしたのだが、久しぶりに「おっさん」呼ばわりされたのがなんか妙に新鮮だった。確かに初めてアフリカに渡航する人もいる20歳の子から見れば、今年で3回目の渡航になる29歳は、間違いなくおっさんに見える。

でも面白かったのは、滞在して1週間くらいして皆と打ち解けると必ず言われるのが、「賢さんって、子供ですよね」というセリフだ。仕事としてではなく、プライベートも含めた共同生活をすると、いつもバレてしまう僕の精神年齢。多分映画を作り始めた12歳の頃から急激に精神年齢の老化が遅くなり、今やっと16歳くらいになった実感がある。

僕にとって自分の年を一番よく感じる事が出来るのは自分の作品だ。それは小さい頃に柱につけた印のように、その作品を作った自分の等身大が現れていると思う。あの時はこうだったな、と思い出し、今の自分ならこう出来るだろうなと想像する。

ただ、これを書いて気づいたのは、気にしないといいつつ、実は年に事について気にしているということだ。背伸びする事もなく、若く見られることもなく、年相応に見られるように早くなりたいからだろう。

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